ネットワークビジネスに宗教。何かにハマっている人を救おうなんて烏滸がましい

昔、ある友達がネットワークビジネスにハマっていた。そのネットワークビジネスは商品を友達に紹介することで収益が得られ、会員になるとさらに権利収入という不労所得が得られるというものらしい。

 

私も誘われたが興味がなかったし、忙しかったから断った。その友達は私以外にも沢山の人に声を掛けていて、友達の間では話題になっていた。

 

「アイツとは関わらない方がいい」皆んなからそう言われていた。すると勇気ある友達の1人がネットワークビジネスにハマっている友達を一生懸命やめるよう説得した。

 

友達だから言ってんだよ、ネットワークビジネスなんてやめた方がいいって。

 

初めは聞く耳を持たなかったらしいが、度重なる説得によって徐々に話を聞いてくれるようになり、遂にはそのネットワークビジネスを退会した。

 

その後、友達の間ではアイツはいいヤツだなって、ネットワークビジネスから救ったヒーローみたいに扱われていた。私もそう思った。

 

それから数十ヶ月経ったある日、ある友達から驚くことを聞いた。ネットワークビジネスにハマっていた友達が、別のネットワークビジネス?にハマってお金をガッポリ取られたと。それで自殺未遂までしたらしいと。

 

アイツやめたんじゃなかったのかよ。何してんだよ。

 

そう思ったのと同時に、もう一つある考えが浮かんだ。もし、あのままネットワークビジネスにハマっていたらここまでならなかったのではないかと。

 

私たちは危険なコミュニティに所属している人を救おうとする。それは正しい行動だ。しかし、救った後ずっと面倒見ないと結局人間は弱いから別の危険なコミュニティに属してしまう。

 

ネットワークビジネスなら他のネットワークビジネス、宗教なら他の宗教、オンラインサロンなら他のオンラインサロン。

 

同じところをぐるぐる回っているだけ。より加速してひどいことになる場合もある。

 

進撃の巨人のケニーアッカーマンがこんなセリフを残している。

”酒だったり、女だったり、神様だったりもする。一族、王様、夢、こども、力、みんな何かに酔っ払ってねえとやってられなかったんだなぁ。みんな何かの奴隷だった

 

これが人間の本質ではないだろうか。危険なネットワークビジネスや宗教から人を救っても人間はまた何かの奴隷になろうとする。そうでないと生きていられないから。

 

昨今、宗教の問題で色々言っている人達がいるけど、その中のどれだけの人が宗教から抜けた後の面倒を見てあげられるのだろうか。きっとほとんどの人は言いっ放しで何もしない。

 

私は思うよ、何かにハマっている人を救おうなんて烏滸がましいって。

 

ちなみにネットワークビジネスにハマっていた友達はどこで何しているのかわからない。元気でやっているならいいけど。